毒親育ちの超肥満摂食障害HSPが過去と決別し、ダイエットで幸せを知った話②
▲今の腹!
▲ダイエット開始時から1ヶ月ごとの変遷
焦燥感の成れの果て-悪夢の糖質制限と摂食障害、醜形恐怖-(2〜6月)
ここが1番きつかった時期かな。
キツ過ぎてちょっと記憶が曖昧になってるくらい😅
ついに禁じ手、糖質制限へ
当然の事なのですが、「餌」生活をしていても、身体のホメオスタシスは無情にも作動します。
つまり、超ストイック食だろうがそれが日常になれば、大して体重が減らなくなってくるんです。
ボディビルダーやボディメイクのインフルエンサーの人たちが「体重はあくまで数字」と口を揃えて言うのを、頭では理解していたつもりでいました。
とはいえ、多少痩せてきたとはいえ当時の目標(K-POPアイドル並みの華奢さ)に対して現状が遠過ぎて、代わり映えのしない体重に憔悴。
この頃は多少食事の知識もついてきたのと、「餌」だけでは心が保てなくなりドカ食いをやらかしてしまう事を問題視。 料理っぽい事を再開するように。
今考えると、完全に脂質恐怖症でオルトレキシア。油や高GI食品を徹底排除していました。
この時はまだ卵使ってるけど、やがて卵も脂質を含むから「憎悪」するようになっていく…。
そして、体重などの数字の変化が遅い事への苛立ちから魔が刺して、最悪の方法に手を出します。
糖質制限です。
あ、糖質制限が必ずしも悪というわけではなくて!
つまり、適切に行わないとリスクが大きい方法なのです。
私は知識はある程度得ても、感情コントロールが出来ずに悪い方へと落ちていったパターン…。
この頃はもう1日に基礎代謝分しか食事しないとかザラにやってて、顔もやつれました。
しかし、糖質を抜くととにかく早く痩せるんですよね。何故なら体から水が抜けるから。
それでいて運動は2時間とかやってる。
後ほど気づいたのですが、この極端なカロリー減のせいで当然筋肉も分解されていってしまいました。
今でもこの失敗は後悔してます。
これで減り続けてる時は満足するんです。
が、糖質制限という心身ともに激しくキツい事をやっても思うほど結果が出ないとどうなるか?
ここが暗黒時代の始まりで、1番辛かった。
食べ物を見る事すら嫌になったんです。
こんなに美味しくもない物を食べても、たいして痩せない。
それでも筋肉を減らす事はできないから脂質と糖質を恐れつつ、太りたくないと毎日泣きながら食事をしてました。
食事の事を考える度に気持ちが落ち込み、食べなくても生きていけたら良いのに…が口癖に。
食べる事が拷問のように思えてならなかった。
そして大体同じ時期に、自分を鏡で見る度に見た目の醜さを声に出して罵倒するという事をやってて、精神状態が最低最悪に。
ダイエット前より10キロ以上減っても、自分の見た目に吐き気を催す始末でした。
味覚を取り戻す
そんな地獄のような毎日を繰り返してた頃。
今までの失敗から発達障害なのでは…?と思い、メンタルクリニックに通うように。
また、これまでリバウンドを恐れて固く禁じていた「食べる楽しみ」の復権を考えるようになりました。
あれやこれやと試行錯誤があって、以前から気になっていた、とあるパン屋に出逢うことになります。
油、乳、卵不使用のパン屋なので、脂質恐怖症だった私としては嬉しくて。
意を決して食べてみたら、そのあまりの美味しさに感激してしまいました。
ああ、コレだなって。コレが欲しかったんだ私はって、ふと悟ってしまったというか。
それからめきめき精神状態が良くなっていきました。
そして、パンを主食で糖質をある程度摂っていたとしても、体型は締まっていって。
パワーが出るから筋トレの質も向上、運動がとても楽しくなりました。
それから、注意欠陥特性から長年苦手だった活字に挑戦するようになりまして。
読書でさまざまな人の考えに触れる事で、今劇的に人生が良くなってきています。
あのパン屋さんを起点に、私の人生の好循環が始まったのです。
気づいたのは、すでに幸せだったという事
これまでの私は、生い立ちや社会に馴染みにくい自分の特性(HSP、注意欠陥)から、
自分なんかが幸せになれる筈はない。
と頑なに信じてきました。
読書記録:『鈍感な世界に生きる 敏感な人たち』 - Yota's Blog
▲HSPについて
具体的に言うと、母がかつて幼い私に言った
「あんたなんか生まなければ良かった」
この言葉に、大人になった今でもずっと縛られて生きてきたのです。
この言葉を気にし過ぎてしまって、何億回と脳内リピートするうち、がっしりと固定され、いつしかこれ自体が自分の人格そのものになっていました。
自分は「死んだ方がいい人間」なのだと。
だから世界を呪っていたし、生きる事に後ろ向きで、正直に言って常に死にたかった。
変えられない過去に拘り続けて「いま、ここ」を直視しないままやってきてしまったんです。
自分の存在の許せなさと怒りから、安直な暴飲暴食でストレスを発散するも、結局それはいっときの快楽しかもたらさない。
それで発散出来ない分は、精神的・肉体的自傷行動で清算したつもりになっていた。
ずーっと同じところをグルグル回ってたんです。
それが、今回のダイエットをキッカケに、ハムスターの滑車を抜けられた。
そうして今を俯瞰したら、私は既に私の大好きな人たちに囲まれてて、愛されていて、心を寄せて貰えているという事が見えて。
愛を適切に受け取れてなかったのは、自分自身の問題だったのだと分かりました。
ようやく気づけたんですね、私はもう既に十分幸せだったんだと。
私がひどい時でさえ、見捨てずにいてくれた人たちがまだ傍に居てくれているのだと。
それに気づいてからは、毎日寝て起きて食べて…ってそんな普通の生活が、凄く新鮮で、幸せで、素晴らしい事なんだなあと思えるようになりました。
それまではずっと自分の境遇が不幸だと決めつけて、自己憐憫をしていたんだなあと。
そしてようやく、自分の過去と決別する時が巡ってきたのです。
下手くそだったけど、私の根深い問題を解決するには、これまでと同じくらいかそれ以上に辛い体験をしなければ変われなかったのかなーと今は考えてます。
インナーチャイルドが欲していた物
健全に自尊心が培えなかった私にとって、必要だったものの正体。
それは、「地道な努力による成功体験」だったようです。
これが私の精神的自立に、決定的に足りなかったパーツだった。
そしてそれは、ダイエットという経験でかなった。
理解した途端に、世界が急に色彩を帯びた気がして、感激で涙したのを覚えています。
そうして私はずっと無視してきた、自分の中で泣いて暴れていた子供の姿を見ることが出来ました。
愛されたかったのに愛されなかった過去を認め、抱擁出来たのです。
常に怒っているというのが、今までの自分の人格だったと思います。
あれは、存在を否定された悲しみが根っこにあったからだったんだと、漸く分かったのです。
人は、変われる
人は変われます。
私は、その証明をするひとりです。
自分が本当に心から望めば、変えられます。
明けない夜は無いのです。
自己需要の道は簡単ではありませんが、リターンは途方もなく大きい。だからこそ、やる価値は十分にあります。
他でも無い、自分の人生のために。
過去は無かった事には出来ない。
であれば、教訓という堆肥にし、自分が太陽に向かって伸びていく養分とすればいい。
運命を呪う事は、後退しかない。
月並みな言葉ですが、あの時の失敗があったからこそ、今日がある。
身体作りを楽しめる今がある。
幸せの何たるかを少し知れた。
全ては自分次第。
過去も他人の意見も自分のハンディキャップも、関係無い。
最後に-これからは、楽しくボディメイクを!-
今はまだ正直理想の体型ではありません。
けれど、今までのように自分を罰するような気持ちではやっていない。
自分を大切にしたいからこそ、ボディメイクでもっと素敵になっていきたいなあと思うようになりました。
当初は「ただ折れそうに細ければ何でも良い」が目標だったけど、今は筋肉を適切につけて、健康的に体脂肪率を下げたいなあと目標も変化。
ボディメイクを初めて、本当に良かった。
これからも楽しんでやっていこ🔥
筋トレは、最高です!
この文章が、なんか人生うまくいかなくてしんどい…と思ってる人たちに、何かしらのヒントになったら嬉しいです🌻
Love yourself.
Love myself.
この文章は、私をこんなに幸せにしてくれた私の大切な人たちと、新型コロナウイルスで亡くなった恩人へ捧げます。
いつもありがとう。
これからも、宜しくお願いします!
Yota